2017年7月7日

網膜剥離の裏側で 〜(1)目の異常


それはアメリカに入国した翌日に起きた。

朝食を済ませ、ラスベガス郊外のホテルの部屋で荷造りをしていた時、音もなく何かがプチンと小さく破裂した感覚とともに、数本の黒い針金のような線や無数の飛蚊症の黒い点のようなものが右目全体に広がり、何度まばたきしても消えない。

何かが起こった、何かが変だ。そう思いながらも、チェックアウトの時間が迫っており、これからアリゾナへ移動しようとしていたので、まずはそれが先だった。

荷物をまとめながら、私の思考がうごめいた。
「旅がこれから始まろうとしている時に、困る。これは何?行く手に何かが待っているとでもいうの?」

2012年に日本へ戻ってから、私は毎年2回アメリカを訪れる。毎回入国地も滞在先での行動のパターンも決まっていたが、今回はあらゆる点で異例ずくめだった ー いつもと違う場所から入国する。夫の家族の引っ越し先であるノースカロライナの地を初めて訪れる。他には特に用事もないのに、滞在が3週間といつもより長い。旅がいきなり強烈な場所から始まる。

この「強烈な場所」というのが、アリゾナだった。

それもアリゾナは、私が行きたいと思った北カリフォルニアの複数の場所が天気予報によるとどこも悪天候のため、計画が白紙に戻り、その後行き先が決まらない日々が続いたある日、「いっそ暖かくて雨のないアリゾナへ行こうか」という夫の突拍子もないアイデアで決まったのだった。

サンフランシスコから入国してその日のうちにラスベガスへ飛び、ラスベガスでレンタカーを借りて、そこから5日間かけてセドナ、モニュメントバレー、グランドキャニオンを巡る。

グランドキャニオンとセドナは、夫と結婚前に初めて一緒に訪れた場所であり、グランドキャニオンは、私達の結婚式のために来てくれた両親を連れてのハネムーンの場所でもあった。長い年月をかけて地球に刻まれた深いシワのようなこの場所は、古くから先住民の聖地とされている。

もうひとつの聖地モニュメントバレーも、私にとって思い出深い場所である。モニュメントバレーはグランドキャニオンからさらに内陸に入るため、日本からはかなりの距離がある。日本に戻ってしまったので、訪れるのはもはや難しいと私は諦めかけていたが、結婚25周年を迎えるという時に、不意にこのような形でこれらの場所を再訪するチャンスが巡ってきたのは祝福だと感じた。

その祝福の旅が始まろうとしていた矢先の目の異常。一体何が起こったのか?
すると、ここに来るまでに目撃した事柄が、不気味な数珠つなぎとなって頭に浮かんだ。

仙台の地下鉄で、眼球をモチーフにした広告に目が留まったこと ー どうしてこんな不気味な目なのだろうと思わせるデザインだった。サンフランシスコ行きの飛行機の中で、前の席にいた男性が急病になり苦しんでいたこと。最初の夜に泊まるホテルに到着するとパトカーと救急車が止まっており、チェックインをするために中に入ると、ホームレスらしき男性が酒の瓶を持ってロビーで倒れていたこと。

それらが予知的な現象だとは言わないが、今回の旅の裏に何かが潜んでいるように思えてならなかった。

セドナへ行く途中、仮眠を取るために夫がドラッグストアの駐車場に車を止め、私も隣の席でシートを倒して目を閉じていると、上の方から何かがこちらを見ている視線を感じた。その方向に振り向くと、少し離れた所の電柱にカラスがいた。それは巨大だったので、ワタリガラスだったかもしれない。そこでじっとしてこちらを見ている。カラスと目が合ったその瞬間、私の体に電流が走った。単なるカラスの存在を超えたものを感じたからだった。

やっぱり今回の旅は何か違う・・・。

目の中にあった針金のようなものはやがて消え、細かい黒い粒子のようなものだけが全体に広がり、視界は白っぽくぼやけていた。

セドナ、モニュメントバレー、グランドキャニオンを訪れた後、一旦サンフランシスコに戻り、今度は夫の家族を訪ねるため、東海岸へ飛ぶことになっていたが、アリゾナでの最後の一夜を過ごすためホテルにチェックインした後、私は急に目のことが気になった。

私の症状をインターネットで調べた夫は、網膜剥離かもしれない、その場合は眼科へ行った方が良いだろうと言った。おそらく、私は医学的な情報を得れば得るほど、不安になっただろう。ところが、ハートに意識をフォーカスすると、全く穏やかで全て大丈夫なのである。

何と馬鹿なことだろうと思われるかもしれないが、私はハートの感覚を優先することにした。もちろん、日本にいたらこの判断はしていなかっただろう。移動を続ける旅のスケジュール、アリゾナの砂漠の中の小さな町にいるという事実、それに高額な医療費のことを考えると、目のことは日本へ帰ってからにしようと思った。

夫に大丈夫だろうと告げると、私はハートに意識を戻した。すると、今起こっていることを別のレベルで知りたいという思いが沸き起こった。私にとってはそちらの方が大事なのだと、なぜかその時そう思った。

ふと、友人の顔が浮かんだ。彼女は私がピンチに陥った時、いつも助けてくれる頼もしい魂の友である。魂レベルでの深い話ができ、必要な時に大切なメッセージを伝えてくれる素晴らしい存在だ。

彼女にメッセージを送ると、時差があるにも関わらずすぐに返信があり、彼女は感じたことを教えてくれた。

医学的なことは別として、エネルギー的なもので見ると、黒い雲とともに砂嵐のようなものが覆い尽くして私が前進するのを猛烈な勢いで阻んで来ており、正面から進むのは難しいほどの勢いのイメージが見えるという。

これを聞いた時、興味深いと思った。砂嵐が起こるのは砂漠であるが、私がいる場所はまさに砂漠で、目の中を覆っているのはそれこそ砂粒のようなものだったからだ。砂嵐といえば、砂嵐の夢を何度か見たことがあり、いつも必ずその後に大きな変化がやってきた。

しかし、前に進めないほどとは何?私はこれから旅を続けるのに、何があるというのだろう?

彼女はさらに言った。宇宙に黒いろうと状の空間があり、その中に私が入っていき、すぐ外に出ることもできるのに、私はあえて奥まで入っていくことを選択するようだと。その空間を通る時、過去(世)に関わる癒しも絡んでおり、一番奥まで到達した時に光を見出すのだと。どうやら魂の成長のためのプロセスのようだねと言った。

「ええっ?これは楽しい旅じゃなかったの? 黒い雲、砂嵐、黒いろうと状の空間? そんなおどろおどろしいものは嫌だ!」と頭が叫び心臓がドキドキしたが、腹の感覚はどっしりしている。そこにフォーカスして静かに目を閉じていると腹に力が入ってきて、よし、何かはわからないが何があっても大丈夫、私は臆することなく進もうと決めた。