2017年2月27日

竹富島で弾け出た子(1)


八重山諸島のひとつに「竹富島」という名の面積5㎢ほどの小さな島がある。

時は200611月。両親が沖縄10島巡りをするというので、私は帰省した際に旅行に便乗した。このツアーの島々は、私にとってどれも生まれて初めて訪れる場所だった。

石垣島からボートに乗って透明なマリンブルーの海を楽しむのもつかの間、わずか10分ほどで竹富島に到着する。

ボートから降りてこの小さな島の地面に足を付けた瞬間、私は圧倒されてアッと声をあげそうになった。島なのかそれを取り囲む空気なのかわからないが、細かく振動しているのだ。

ハチが飛んでいるようなブーンという音が、耳ではなく体全体で感じ取れる。その振動に包み込まれるや否や、強烈な懐かしさとともに涙がこみ上げた。その懐かしさは、今まで体験したことのない深い安堵感をもたらし、心も体も完全に緩み、私は自分という存在全体が溶けて広がっていくような感覚になった。

竹富島にいた時間は1時間ほどで短かかったが、この懐かしい感覚はあまりにも強烈だったため、私は絶対に再び竹富島を訪れたいと思った。それから1年半後、今度は夫とここで一泊することにした。


「今日は47日ですが、何の日だか知っていますか?」
宿泊者名簿に名前を書いている私に、旅館の女将さんが尋ねた。

「いいえ」

「とてもいい日に来ましたね。今日は旧暦のひな祭り、女の子どもの日ですよ。ここでは、旧暦のひな祭りの日に女の人は海に足をつけると良いと言われているので、是非海に入ってみてくださいね」

竹富島自体が私にとっては特別な場所だと思っていたので、到着した日がたまたま特別な日だったことにワクワクした。

夫と浜辺に行き、透明な水に足をくるぶしまで浸けてしばらく立っていると、向こうからフグのような形をした魚が私たちの足元までやってきて、尾びれを振りながら泳ぎ去った。

その夜、私は異様に興奮してなかなか寝付けなかった。寝ている間に何かが起こることを予感していたのだ。

昔からそうなのだが、私は山など波動が高い場所や特別な場所では、大抵不思議な体験をする。特に夜は・・・。

竹富島も例外ではなかった。

やっとなんとか眠りに入っても、浅い眠りだった。夢の中で、私は旅館の前の小道を二階の部屋から眺めていた。もちろん島は舗装などされていないので、道は全て土の道。すると、道の奥から何かがこちらに向かってやってくるのが見えた。

それは、全身が青色の人間の形をした神様の行列だった。先頭の人が旗のようなものを持ち、それに続く十数人がぞろぞろと歩いてくる。

黒澤明の「夢」という映画をご存知だろうか?黒澤監督自身が見た夢が元になった8話からなるものだが、その中の「日照り雨」とよく似た状況だった。

「日照り雨」は、幼い主人公が、ある日母親に「こんな日には狐の嫁入りがある。見たら怖いことになってしまう」と言われたが、誘われるように林へ行き、道の向こうからやってくる狐の嫁入りの行列を見てしまうという話。

「日照り雨」は日中だが、私の場合は午前3時である。行列が月明かりの小道の向こうからやってくる様子を部屋の隅から見下ろしていたら、突然「人間がこれを見てはいけない!」という声がした。その瞬間、行列の人たちがパッと顔を上げた。私はサッと体を引っ込めたが、完全に気づかれてしまったようだ。

「ああ、しまった!」
恐怖とともに、繋がっていたロープが切れて落ちていく感覚が襲ってきた。すると突然、真っ暗な空間でパーンと勢いよく白い玉が炸裂し、光の粒が飛び散った。

その中から、青いつなぎの半ズボンを履いた一人の男の子が現れた。

「あっ私だ!」

3歳くらいの男の子だが、この子は私だった。

光の中から弾け出た子は、もうこれ以上楽しいことはないとでも言うように、歌いながら踊り始めた。

「おもちゃのチャチャチャ、おもちゃのチャチャチャ! 
チャチャチャ おもちゃの チャッ! チャッ! チャッー!!

声を張り上げながら全身をくねらせ、両腕を振り回し、足を勢いよく上げて、今この瞬間を最高に楽しんでいる。きゃっきゃっと笑いながら、延々とおもちゃのチャチャチャをやっている。

この子の後ろには友達なのか、二人の女の子も一緒に踊っていた。

間もなく子どもたちが消えると、寝ている私の体がベッドから1メートルくらいの高さに持ち上がり、何かが左胸に触れてジュッと焼きを入れられるような音とビリビリ感電するような感覚があり、そこで目が覚めた。

こうして、私はのちに「チビじゅん」と呼ぶことになるワンダーチャイルドに、竹富島で旧暦のひな祭りの日に遭遇したのだった。

ただ、私はワンダーチャイルドとは何であるかは知らなかった。2年後にチビじゅんが再び現れるまでは。

<つづく>

2017年2月24日

竹富島で弾け出た子(2)

 
竹富島で弾け出た「チビじゅん」(エピソードは http://junkokurata.blogspot.jp/2017/02/blog-post_24.html に)と再会したのは、2年後のことであった。あれから私の人生は速いスピードで展開した。強力な導きがあり、シアトルから一時帰国して、日本でカウンセラー/セラピスト養成講座を受講することになった。

この講座の合間に受講仲間と頻繁に自主トレーニングをして、セラピーの体験を深めていったが、チビじゅんが再び現れたのは、その自主トレーニングの時であった。

チビじゅんは、竹富島では炸裂した光の粒から出現して私を驚かせたが、自主トレーニングでは違う方法で私を驚かせた。

私はクライアントの役になり、セラピスト役に主訴を伝えて、ハコミセラピーの手法を使って反応を探るための言葉をかけてもらうことになった。セラピストが直感で言葉を選び、私は呼吸を整え目を閉じて、受け取る準備をした。

「じゅんちゃんは、優しい子だね」

この言葉に浮かび上がったのは、母に抱っこしてもらい、気持ちよさそうに目を細めてこちらを見ている幼い私だった。実際にその時の写真があるが、頬も腕もぷっくらしてマシュマロみたいに柔らかく、髪はまだ薄くて茶色い。1歳半くらいだったと思う。こちらを見ているこの子の優しい眼差しに、私は涙がこぼれた。

すると、「この子はギフトを持っている」という声が聞こえた。あらゆるものを包み込むことのできる優しさがギフトであるという。

「この子にしてあげたいことは?」とセラピストに聞かれたので、柔らかくてとても繊細そうなこの子を守ってあげたくて、両手で抱え込みたいと近づくと、この子はさっと身を引き、少し眉をひそめてよけるような素振りをした。

これは意外だった。私はこの子は癒しを求めている子どもだと勘違いしていた。こちらが守ってあげるというのはとんでもないことで、この子には優しさだけでなく強さが備わっているのである。

そのことをセラピストに報告している最中に、この子は芽から双葉が出るように成長して変化していった。そこに、竹富島で出会ったほとんど男の子のようなワンダーチャイルド「チビじゅん」がいた。

チビじゅんは3歳くらいで、まったく恐れがない。好奇心の塊で、じっとしていることができないタイプなのか、どこへでも一人でどんどん行ってしまう、すごい行動派。あっちに何がある、こっちに何があるという風に、指を指している。この子は「人生はとても単純なこと。好奇心とそれに伴う行動があって、そこに体験があるのみ」と私に伝えようとしているかのようだ。

そういえば、子供のとき、どうなるのかなあ?という好奇心のあまり、扇風機に足の指を突っ込んでみたり、ホチキスを手の親指にとめてみたり、空き地に積まれていた枕木に火をつけてみたりしたことがあったのを思い出した。

足の指は切れ、親指に2つ穴が開いて出血し、次第に勢いを増す火を近所の人に発見されて母にこっぴどく叱られたが、この好奇心と行動力はまさにチビじゅんの資質だ。それが賢明な行動かどうかは別として。

次に、セラピストがこの子に「話しかけてみる?」と提案したので、何か話そうとしたら、チビじゅんは四角く突き出した唇に人差し指を当てて「シッ」と言った。そして、私の手を引いて、どこかへ連れて行こうとする。

私はチビじゅんと空を飛んでいた。下には町並みが見えており、明かりが灯っているので夜のようだ。そのままどんどん上昇していくが、星空ではない。恐怖を誘う何もない暗い空間へと入っていく。

チビじゅんはまったく臆することがなく、まるで宇宙は自分の庭で、私に案内してあげてるんだよとでも言うように飛び回ると、洞窟のような空間を指して「これが人間の集合意識」だと伝えてきた。

そして私が将来関わる活動の方向性をほのめかすと、目の前に現れた灰色を帯びた紫色の大きな渦の中に、広がるように溶けて消えていった。

チビじゅんは言葉を使うのが苦手なのか、それともあえて使いたくないのか、しきりに私に指で指し示していた。

「好奇心を持って、臆することなく自分の足で動いてみること」

それが、チビじゅんが、あれやこれやと考えて慎重になるあまりに動けなくなってしまっている大人の私に、思い出して欲しかったことのようだ。

チビじゅんは私の中にいて、時々内側から私に蹴りを入れる。その蹴りとは、内なる衝動なのである。

受講していた講座の最中に、突然この蹴りが入ったことがある。

受講者の一人が抱えている生きづらさの問題に数人が寄り添っていたのだが、本人は生きている価値がない、自分は息をするのも申し訳ない存在だという思いがあまりにも強く、体を折り曲げ床に伏せて固まってしまい、そこで行き詰まってしまった。

私も寄り添う側の一人としてそこにおり、何か優しい言葉をかけて気持ちを和らげてあげたい、どんな言葉をかけてあげればいいかな?と考えていたところ、私の中でチビじゅんが飛び跳ねた。

一緒にかがみこんで彼女の背中に手を当てていた私は突然勢いよく立ち上がり、部屋の真ん中に行き、大声で「おもちゃのチャチャチャ」を歌って踊り始めた。すぐに2〜3人が加わり、私たちは手をつないで輪になった。

「おもちゃのチャチャチャ、おもちゃのチャチャチャ
チャチャチャ おもちゃの チャッ! チャッ! チャッー!!

さらに何人かが加わって、声も動きもどんどん激しさを増していき、私たちはきゃっきゃっと笑いながら、狂ったように歌い踊り続けた。

「こんなことしてていいの?隣で深刻な状況になっているのに、これすごいひんしゅくじゃない?」と頭の中で声がするが、チビじゅんはお構いなし。私の手足は完全にチビじゅんに乗っ取られていた。

今ならわかる。チビじゅんは、今生きていることの驚異とこの瞬間にも創造できる喜びを体を使って示したかったのだ。深刻さや息をも止めてしまうような強固な考えに対して、ほら、こっちの方がリアルだよ、こんな簡単なことなんだよ。生きているんだよ、生きているから歌うんだよ、踊るんだよ、と。

この子は大人の私よりずっと賢くて頼もしい。この子の後ろには神様がいるのか?私が行動することを躊躇していると、言葉以外の方法で何度も何度も私に伝えてくる。

「おもちゃのチャチャチャだよぉ。臆することなかれ〜!」


2017年2月19日

初めてのハコミセラピーセッションで

私は心理療法なるものに全く興味がなかったし、それがどのようなものであるかも知らなかった。だがある時、知人がどうしても参加したいワークショップが日本であり、一緒に体験してみないかと誘ってきた。私がまだシアトルに住んでいた時のことである。


それがきっかけで、数ある心理療法の中で私はハコミセラピーに惹かれた。というよりも、「それがやってきた」という表現が正しいかもしれない。


ある日、パソコン画面に表示された「ハコミ」という字を見た瞬間に、目が釘付けになり心臓がドキドキした。「この感覚は何?そもそもハコミって何語?日本語っぽいけど」。

調べてみると、“Hakomi”とは、アメリカ先住民ホピ族の「あなたは何者であるか?」に匹敵する言葉であるということだった。それを知った瞬間ストンと腑に落ちた感覚があり、すぐさまシアトルでハコミのワークショップに参加し、その1ヶ月後にはハコミのトレーニングに申し込んでいた。

私は心理学のバックグラウンドはなく、ハコミのワークショップでも、見るもの聞くもの何もかもが新しくて面白く、好奇心いっぱいだった。マインドフルネスからの身体感覚にフォーカスするハコミは、私にとって強烈な体験や記憶をもたらすものであったが、中でも初回トレーニングでの体験は、忘れることができない。

その日の最後に講師がリードする30分ほどのミニ個人セッションをデモンストレーションとしてやることになり、なぜか私がクライアントとして選ばれた。

セラピスト(講師)と向かい合って座ると、特に主訴はないと思っていたところ、ちょうど日本に帰省する前で、実家の母のことが頭に浮かんだ。すると突然、ガタガタと体に震えが走り腰から力が抜けて、座っているのに宙に浮いた感覚になった。まさに「地に足がついていない」状態だった。

なぜそうなるのか皆目見当がつかないが、それをセラピストに伝えると、「マインドフルネス状態になってその感覚を感じていたら、何が起こるでしょうか?」と聞かれた。

呼吸を整えて震えを感じていると、内側からムラムラと怒りの感情が湧いてきた。「その感情を感じているときのあなたは何歳くらいですか?」

「5歳・・・」
そこに5歳の私がいた。友達と遊んでいた私は、ある夕方門限を過ぎて帰宅すると、玄関に鍵がかかっており、大きなショックを受けた。私は最愛の母がこの世から姿を消した、もう永遠に戻ってこないかもしれないと思い込み、恐怖のどん底に突き落とされた。それは、自分の存在そのものが消されるかのような恐怖だった。目の前が真っ暗になり、全身がざわざわと崩れていき、力が抜けていった。

私は泣きながら、おばさん(友達の母親)と一緒に近所を探したり、家の前に立ってしばらく待っていた。すると、おばさんは戸の隙間から明かりが漏れていることに気づき、玄関から声をかけると中から母が出てきた。

その時私は、強烈に「裏切られた」と感じ、燃え上がるような怒りと恨みを覚えた。その感情が今、ハコミセッションで再現されたのだった。

後で知ったが、母は門限を守らない私をしつけるためにやったとのこと。

しかし子供にはそんなことは通じない。愛する人に裏切られるという強烈な痛みと怒りしかなかった。

普段怒りを抑えてしまう私にとっては、この再現された古い感情はむしろ新鮮であり、堰を切ったように出てくる怒りのエネルギーを残らず放出したかった。

とその時、この怒りのエネルギーに対するセラピストの恐れがこちらに向かってヒュンと飛んできた。瞬間的な迷いまでもが伝わってきた。彼女が意識の上で後ろに引いて壁を作り、遮ったのがわかった。どうやら私はマインドフルネス状態になると、自分のことだけでなく、相手や周りのエネルギーも敏感に感じ取れてしまうようだ。

「その感情から少し離れたところに立って、そこからその感情を眺めていたら、次に何が起こるでしょうか?」

あれだけあった怒りの感情にはひとかけらの執着もなく、カクンとひとつ下に降りた感覚があった。怒りの下には単純な悲しみがあった。

「さあ、さらにその一歩奥へと行ってみたら、次は何が起こるでしょうか?」
そこは母の感情だった。私はここにいるけれど、感じているのは母のもの。それはSadness(悲しみ)ではなく、Sorrow(深い悲しみ)だった。今の母よりもずっと大きく揺るぎなく、年輪と深みを持った存在。それを魂と呼ぶのなら、その魂に刻み込まれた悲しみの想いには、圧倒的な深みと重みがあった。

そのことを伝えると、セラピストはさらにこう言った。「その悲しみからさらに降りていきましょう」

今度は、人類の悲しみが眼の前に広がった。人種を超えて地球規模で人々が共通に持つ悲しみや苦しみ、無力感。長い歴史の中で繰り返されてきたもの。何の違和感もなく、自分のものではない感情をこんな風に手に取るように観ることができるとは。

個人の感情から、母の感情、母の魂レベル、そして人類という集合レベルへと意識が拡大していき、私はそれを当たり前のように静観している。

人類の悲しみを感じていると、眼の前に暗い洞窟のような空間が現れた。集合的な負のエネルギーは、ただただ濃い灰色の世界。闇は動くこともなく、そこにあり続ける。私はしばらくこの洞窟を見つめていた。

すると闇の真ん中に小さな穴が開き、そこから光が漏れ出た。穴はスリット状になり、光は太くなって広がり、瞬く間に空間全体が光で満たされた。その光にはそれ自身の意志があり、希望に溢れていることが感じられた。そして、それが自然の流れであり、仕組みであるという確信のような、腑に落ちるような感覚が訪れた。

その感覚を感じると、今度はそこまで拡大された意識が元の場所に戻るかのように縮小しながらスーッと上昇し、再び母が現れた。

現れたというか、私の右の頬に母の左の頬がピッタリとくっ付いていた。母が微笑んでいる。まるで私がこれを体験したことを喜んでくれているかのようだった。

私は驚いた。死んだ人が眼の前に現れたことはあるが、生きている人がこんなにリアルにここにいて、喜びを伝えてくるなんて。今母は太平洋の向こう側の日本にいるのに、確かにここにきている。私は母の顔もエネルギーもはっきりと感じることができるのだ。

そのことをセラピストに伝えると、セッションの深さに感動した様子だったが、私は母の顔が自分にピッタリくっ付いていることが、少し気味悪かった。ここで私がこんなセッションをしていることを、どうして知ったのだろう?

母の意識はセッション中に私に寄り添いながら、私と共に意識の層を降りて行ったのだろうか?娘である私が、母の深い悲しみを体感することで理解を深めたことを喜んでいたのだろうか?母もあの闇から出ずる光を見たのだろうか?

初めてのハコミセッションは、完璧で美しいプロセスだった。私は私でありながらも、意識は全体と繋がっていることを体感した。ハコミとは、ホピ族の「あなたは何者であるか?」に匹敵する言葉であると言ったが、セッションはそこに触れる素晴らしい体験だった。