2017年7月5日

網膜剥離の裏側で 〜(3)目の中の宇宙

ノースカロライナにいる間、一旦目の中の砂つぶの数が減って視界がかなりクリアになり、このまま治るのかと思ったほどであった。しかし、シアトル空港に到着した途端、突然真っ黒なブロックが現れ、視界の半分近くがふさがれてしまった。

翌日は、視界の80%以上が黒で塗りつぶされてしまった。これはもうかなり深刻な状態だ。それでも、ハートは相変わらず穏やかなままである。

ハートの感覚の中にいることに慣れてしまうと、ストレスになる考えはあまり浮かんでこない。さらに、視力は低いが片方の目は見えるため、多少の不自由さを感じる程度で済む。いつもと違う感覚を使ったり、歩くペースが落ちて、より自分のペースと軸で行動できたり、見えないがゆえに恥ずかしさがなく、落ち着いて堂々としている自分がいたりする、という興味深い発見もある。

アリゾナで日本からメッセージをくれた友人に、目の状態が悪化して黒いブロックが現れ、見えなくなったことを伝えて助言を求めると、彼女には黒い激しい波が打ち寄せるイメージが見えた。次に、その黒い波の中から眼球が1つ飛び上がり、上空から下をキョロキョロ見ている光景になり、その時「魂の目で見なさい」という言葉が入って来たという。

私はまだ宿題を済ませていないことを知っていた。それはじっくりと黒い部分と向き合うことだった。

それをするのにシアトルはもってこいだった。シアトルは今回の旅行の最終滞在地であり、長年暮らした街であったため、落ち着けた。全ては完璧なのである。

民泊で借りていた家で静かに一人になれる時間があった。私はベッドに腰掛け、目の中の真っ黒な闇にフォーカスしてみた。

漆黒の闇・・・意外にもそこは宇宙空間のようだった。広大な静寂の中に金色の星々が浮かんでおり、北斗七星のような形をなしている。私の目の中に宇宙空間がある!私は夜空を見ているような気分になり、心が安らいだ。

翌日は春分で、古くからの友人のマッサージを受けることになった。この友人は素晴らしい感覚の持ち主で、マッサージの質が高くて深い。彼女との相性が良く、互いに引き合い響き合うため、私はいつも彼女のマッサージに、体も心も深い満足を得ることができた。彼女は私にマッサージをすると毎回必ず様々なイメージが浮かび、終わった後で私にフィードバックをくれるので、今回はどんな風だろうと興味もあった。

彼女の手が真っ先に私の腰に触れる。その手の動きを感じていると、私の閉じた目の前に、昨日見た宇宙空間が広がった。私の意識は、滑らかに滑る彼女の手から流れるエネルギーの波と、宇宙空間の中を漂っていた。それは、肉体への刺激を感じながらも、肉体を超えたものの只中にいるという不思議な感覚だった。

終わった後で彼女が言った。
「じゅんこさん、腰をやっている時、宇宙が見えた。星が浮かんでるの。じゅんこさんだけどじゅんこさんでないような、個人と全体との境界が薄くなっているような不思議な感じ。それで、その宇宙空間にブラックホールのような黒い空間があって、じゅんこさんはそこの中に入っているの。今はじっとしていて動かない感じ。闇の中にいるけれど、最後には光がある」

鳥肌が立った。彼女に見えたイメージは、日本の友人が説明してくれたイメージとほぼ同じだった。彼女の感覚は素晴らしい。

翌朝、私は洗面所の鏡に自分の顔を近づけ、右目をじっくりと見てみた。ぼんやりと力のないその目は、なんと母の目だった。母は幼い頃に右目が病気になり、それが原因で何年か前に完全に失明した。その目と私の目が重なると、私の顔全体に母のエネルギーが広がった。不気味なほど強烈に、そこに母がいた。

私は自分の中に母を見ているのだろうか?それとも母の中に自分を見ているのだろうか? ・・・・境界線が薄れて行く。この時、本能的に私は母の目を拒絶し、私はこれは受け取らないと決めた。こんなに強い拒絶反応は生まれて初めてだったかもしれない。

母の物の見方、考え方が、長い間そのまま子供の私の見方、考え方であった。母のエネルギーは巨大であり、大人になってからも母の感情や言葉に反応し、それに影響され続けてきた。幼い頃から母を守るのは自分だと決め込み、母の苦しみを和らげることができなければ罪悪感さえ感じてきた。

しかし、ここで私はもうきっぱりとそこから卒業するのだ、そういう自分を卒業するのだと決めた。母は母であり、私は私でいい。

すると今度は、母が私の子供であるかのような感覚が沸き起こった。それは今母が高齢になって立場が逆転したことと関係しているかもしれないが、それよりも、私の中に感じられたのは、漠然とした母性のようなものだった。私には子供はいないが、自分の中に最初からあった母性を感じ取っていた。

深い部分で何かが動いた。頭ではない部分での理解とともに、何かがほどけていき、ただそれで良いという感覚になった。

その感覚の中で自然に終止符が打たれ、ゼロへと戻っていく。

しばらくして、ベッドに戻って目の中の黒い闇にフォーカスしてみると、悲しみが浮かび上がった。それは私の個人的な悲しみではなく、少し離れたところにあるような漠然とした集合的な悲しみだった。その悲しみを感じていると、勝手にメロディーが口をついて出てきた。感じるままに歌っていると、音に合わせて右手が動き始め、手のひらで上へ上へとこの悲しみのエネルギーを上げていく動作になった。

ただ体が動くに任せていると、やがてそれは終わり、私の意識は再び目の中の闇へと戻っていった。

そこには先日見た宇宙空間があったが、あの時金色だった星々が今は赤や青、紫、ピンク、緑色などに変化しており、虚空を彩り美しく輝いている。私は驚いた。というのも、これらの星をこれまで何度か見たことがあるからである。

それは決まって深い夢の中でだった。夜空いっぱいに散りばめられた色とりどりの星が意志を持っているかのように活発に動き出し、いくつもの輪になってクルクル回転する。それは花火を見ているような光景で、星々の歓喜に満ちた乱舞だった。私は以前シアトルに住んでいた時に、この夢を何度か見た。

今、夢ではなく、再びこのシアトルの地で、今度はベッドに座っている私の目の中にその星たちがいた。動いてはいなかったが、息づくようにキラキラと輝いていた。少し離れた空間には銀河が生まれ出て、ごくゆっくりと回転し始めた。私は静寂にどっぷりと浸り、この目の中の宇宙空間を見つめていた。

するとその空間の奥の方から、うっすらと徐々に浮き上がってくるものがあった。淡い灰色で薄く繊細なものが次第に認識できる形となっていく。広大な宇宙空間に出現したそれは、巨大な淡い灰色の目だった。

その時、私の中から声がした。
「神の目・・・この神の目に私の目を重ね合わせる」

しばらくして、私が愛用しているセイクレッド・パス・カードの中のある一枚の絵が頭に浮かんだ。それは「グレートミステリー」のカードだった。


グレートミステリーとは、「大いなる神秘」という意味である。グレートミステリーは、北米先住民の人々にとって創造の源を表す言葉であり、日常の中で私はその神聖なる不可知の領域を最も大切にし、敬意を払っている。

カードには、宇宙の裂け目が別次元への扉となり、その向こうにある光が描かれている。裂けた網膜はさながら宇宙の割れ目のごとく、その裂け目の向こうから、その巨大な目は姿を現したのだろうか。

アリゾナにいた時「このまま旅を続けなければ意味がない」と言ったハートの声、そして「闇の中を奥まで行って、行き着いた先に光がある」と言った友人の言葉が思い出された。

私の中の宇宙。私の中の神秘。そこに現れた目の正体はわからない。いや、わかる必要はない。

ただ感覚的にはっきりとわかっていることは、あるプロセスがひとつ確実に終わったということである。それは頭での理解ではなく、腹で納得できる感覚だった。ひとつ宿題を終えたような安堵感に包まれると、あとはもうどうでもよくなった。

「はい、私は自分に与えられたことをやり、今終えました。後のことはそちらへバトンタッチ。後はよろしく」と私は心の中でガイド霊に投げかけると、彼らは満足して喜んでいる様子で「了解、全て私たちに任せなさい」という言葉とともに忙しく動き出したのが伝わってきた。