2017年2月24日

竹富島で弾け出た子(2)

 
竹富島で弾け出た「チビじゅん」(エピソードは http://junkokurata.blogspot.jp/2017/02/blog-post_24.html に)と再会したのは、2年後のことであった。あれから私の人生は速いスピードで展開した。強力な導きがあり、シアトルから一時帰国して、日本でカウンセラー/セラピスト養成講座を受講することになった。

この講座の合間に受講仲間と頻繁に自主トレーニングをして、セラピーの体験を深めていったが、チビじゅんが再び現れたのは、その自主トレーニングの時であった。

チビじゅんは、竹富島では炸裂した光の粒から出現して私を驚かせたが、自主トレーニングでは違う方法で私を驚かせた。

私はクライアントの役になり、セラピスト役に主訴を伝えて、ハコミセラピーの手法を使って反応を探るための言葉をかけてもらうことになった。セラピストが直感で言葉を選び、私は呼吸を整え目を閉じて、受け取る準備をした。

「じゅんちゃんは、優しい子だね」

この言葉に浮かび上がったのは、母に抱っこしてもらい、気持ちよさそうに目を細めてこちらを見ている幼い私だった。実際にその時の写真があるが、頬も腕もぷっくらしてマシュマロみたいに柔らかく、髪はまだ薄くて茶色い。1歳半くらいだったと思う。こちらを見ているこの子の優しい眼差しに、私は涙がこぼれた。

すると、「この子はギフトを持っている」という声が聞こえた。あらゆるものを包み込むことのできる優しさがギフトであるという。

「この子にしてあげたいことは?」とセラピストに聞かれたので、柔らかくてとても繊細そうなこの子を守ってあげたくて、両手で抱え込みたいと近づくと、この子はさっと身を引き、少し眉をひそめてよけるような素振りをした。

これは意外だった。私はこの子は癒しを求めている子どもだと勘違いしていた。こちらが守ってあげるというのはとんでもないことで、この子には優しさだけでなく強さが備わっているのである。

そのことをセラピストに報告している最中に、この子は芽から双葉が出るように成長して変化していった。そこに、竹富島で出会ったほとんど男の子のようなワンダーチャイルド「チビじゅん」がいた。

チビじゅんは3歳くらいで、まったく恐れがない。好奇心の塊で、じっとしていることができないタイプなのか、どこへでも一人でどんどん行ってしまう、すごい行動派。あっちに何がある、こっちに何があるという風に、指を指している。この子は「人生はとても単純なこと。好奇心とそれに伴う行動があって、そこに体験があるのみ」と私に伝えようとしているかのようだ。

そういえば、子供のとき、どうなるのかなあ?という好奇心のあまり、扇風機に足の指を突っ込んでみたり、ホチキスを手の親指にとめてみたり、空き地に積まれていた枕木に火をつけてみたりしたことがあったのを思い出した。

足の指は切れ、親指に2つ穴が開いて出血し、次第に勢いを増す火を近所の人に発見されて母にこっぴどく叱られたが、この好奇心と行動力はまさにチビじゅんの資質だ。それが賢明な行動かどうかは別として。

次に、セラピストがこの子に「話しかけてみる?」と提案したので、何か話そうとしたら、チビじゅんは四角く突き出した唇に人差し指を当てて「シッ」と言った。そして、私の手を引いて、どこかへ連れて行こうとする。

私はチビじゅんと空を飛んでいた。下には町並みが見えており、明かりが灯っているので夜のようだ。そのままどんどん上昇していくが、星空ではない。恐怖を誘う何もない暗い空間へと入っていく。

チビじゅんはまったく臆することがなく、まるで宇宙は自分の庭で、私に案内してあげてるんだよとでも言うように飛び回ると、洞窟のような空間を指して「これが人間の集合意識」だと伝えてきた。

そして私が将来関わる活動の方向性をほのめかすと、目の前に現れた灰色を帯びた紫色の大きな渦の中に、広がるように溶けて消えていった。

チビじゅんは言葉を使うのが苦手なのか、それともあえて使いたくないのか、しきりに私に指で指し示していた。

「好奇心を持って、臆することなく自分の足で動いてみること」

それが、チビじゅんが、あれやこれやと考えて慎重になるあまりに動けなくなってしまっている大人の私に、思い出して欲しかったことのようだ。

チビじゅんは私の中にいて、時々内側から私に蹴りを入れる。その蹴りとは、内なる衝動なのである。

受講していた講座の最中に、突然この蹴りが入ったことがある。

受講者の一人が抱えている生きづらさの問題に数人が寄り添っていたのだが、本人は生きている価値がない、自分は息をするのも申し訳ない存在だという思いがあまりにも強く、体を折り曲げ床に伏せて固まってしまい、そこで行き詰まってしまった。

私も寄り添う側の一人としてそこにおり、何か優しい言葉をかけて気持ちを和らげてあげたい、どんな言葉をかけてあげればいいかな?と考えていたところ、私の中でチビじゅんが飛び跳ねた。

一緒にかがみこんで彼女の背中に手を当てていた私は突然勢いよく立ち上がり、部屋の真ん中に行き、大声で「おもちゃのチャチャチャ」を歌って踊り始めた。すぐに2〜3人が加わり、私たちは手をつないで輪になった。

「おもちゃのチャチャチャ、おもちゃのチャチャチャ
チャチャチャ おもちゃの チャッ! チャッ! チャッー!!

さらに何人かが加わって、声も動きもどんどん激しさを増していき、私たちはきゃっきゃっと笑いながら、狂ったように歌い踊り続けた。

「こんなことしてていいの?隣で深刻な状況になっているのに、これすごいひんしゅくじゃない?」と頭の中で声がするが、チビじゅんはお構いなし。私の手足は完全にチビじゅんに乗っ取られていた。

今ならわかる。チビじゅんは、今生きていることの驚異とこの瞬間にも創造できる喜びを体を使って示したかったのだ。深刻さや息をも止めてしまうような強固な考えに対して、ほら、こっちの方がリアルだよ、こんな簡単なことなんだよ。生きているんだよ、生きているから歌うんだよ、踊るんだよ、と。

この子は大人の私よりずっと賢くて頼もしい。この子の後ろには神様がいるのか?私が行動することを躊躇していると、言葉以外の方法で何度も何度も私に伝えてくる。

「おもちゃのチャチャチャだよぉ。臆することなかれ〜!」