それがきっかけで、数ある心理療法の中で私はハコミセラピーに惹かれた。というよりも、「それがやってきた」という表現が正しいかもしれない。
ある日、パソコン画面に表示された「ハコミ」という字を見た瞬間に、目が釘付けになり心臓がドキドキした。「この感覚は何?そもそもハコミって何語?日本語っぽいけど」。
調べてみると、“Hakomi”とは、アメリカ先住民ホピ族の「あなたは何者であるか?」に匹敵する言葉であるということだった。それを知った瞬間ストンと腑に落ちた感覚があり、すぐさまシアトルでハコミのワークショップに参加し、その1ヶ月後にはハコミのトレーニングに申し込んでいた。
私は心理学のバックグラウンドはなく、ハコミのワークショップでも、見るもの聞くもの何もかもが新しくて面白く、好奇心いっぱいだった。マインドフルネスからの身体感覚にフォーカスするハコミは、私にとって強烈な体験や記憶をもたらすものであったが、中でも初回トレーニングでの体験は、忘れることができない。
その日の最後に講師がリードする30分ほどのミニ個人セッションをデモンストレーションとしてやることになり、なぜか私がクライアントとして選ばれた。
セラピスト(講師)と向かい合って座ると、特に主訴はないと思っていたところ、ちょうど日本に帰省する前で、実家の母のことが頭に浮かんだ。すると突然、ガタガタと体に震えが走り腰から力が抜けて、座っているのに宙に浮いた感覚になった。まさに「地に足がついていない」状態だった。
なぜそうなるのか皆目見当がつかないが、それをセラピストに伝えると、「マインドフルネス状態になってその感覚を感じていたら、何が起こるでしょうか?」と聞かれた。
呼吸を整えて震えを感じていると、内側からムラムラと怒りの感情が湧いてきた。「その感情を感じているときのあなたは何歳くらいですか?」
「5歳・・・」
そこに5歳の私がいた。友達と遊んでいた私は、ある夕方門限を過ぎて帰宅すると、玄関に鍵がかかっており、大きなショックを受けた。私は最愛の母がこの世から姿を消した、もう永遠に戻ってこないかもしれないと思い込み、恐怖のどん底に突き落とされた。それは、自分の存在そのものが消されるかのような恐怖だった。目の前が真っ暗になり、全身がざわざわと崩れていき、力が抜けていった。
私は泣きながら、おばさん(友達の母親)と一緒に近所を探したり、家の前に立ってしばらく待っていた。すると、おばさんは戸の隙間から明かりが漏れていることに気づき、玄関から声をかけると中から母が出てきた。
その時私は、強烈に「裏切られた」と感じ、燃え上がるような怒りと恨みを覚えた。その感情が今、ハコミセッションで再現されたのだった。
後で知ったが、母は門限を守らない私をしつけるためにやったとのこと。
しかし子供にはそんなことは通じない。愛する人に裏切られるという強烈な痛みと怒りしかなかった。
普段怒りを抑えてしまう私にとっては、この再現された古い感情はむしろ新鮮であり、堰を切ったように出てくる怒りのエネルギーを残らず放出したかった。
とその時、この怒りのエネルギーに対するセラピストの恐れがこちらに向かってヒュンと飛んできた。瞬間的な迷いまでもが伝わってきた。彼女が意識の上で後ろに引いて壁を作り、遮ったのがわかった。どうやら私はマインドフルネス状態になると、自分のことだけでなく、相手や周りのエネルギーも敏感に感じ取れてしまうようだ。
「その感情から少し離れたところに立って、そこからその感情を眺めていたら、次に何が起こるでしょうか?」
あれだけあった怒りの感情にはひとかけらの執着もなく、カクンとひとつ下に降りた感覚があった。怒りの下には単純な悲しみがあった。
「さあ、さらにその一歩奥へと行ってみたら、次は何が起こるでしょうか?」
そこは母の感情だった。私はここにいるけれど、感じているのは母のもの。それはSadness(悲しみ)ではなく、Sorrow(深い悲しみ)だった。今の母よりもずっと大きく揺るぎなく、年輪と深みを持った存在。それを魂と呼ぶのなら、その魂に刻み込まれた悲しみの想いには、圧倒的な深みと重みがあった。
そのことを伝えると、セラピストはさらにこう言った。「その悲しみからさらに降りていきましょう」
今度は、人類の悲しみが眼の前に広がった。人種を超えて地球規模で人々が共通に持つ悲しみや苦しみ、無力感。長い歴史の中で繰り返されてきたもの。何の違和感もなく、自分のものではない感情をこんな風に手に取るように観ることができるとは。
個人の感情から、母の感情、母の魂レベル、そして人類という集合レベルへと意識が拡大していき、私はそれを当たり前のように静観している。
人類の悲しみを感じていると、眼の前に暗い洞窟のような空間が現れた。集合的な負のエネルギーは、ただただ濃い灰色の世界。闇は動くこともなく、そこにあり続ける。私はしばらくこの洞窟を見つめていた。
すると闇の真ん中に小さな穴が開き、そこから光が漏れ出た。穴はスリット状になり、光は太くなって広がり、瞬く間に空間全体が光で満たされた。その光にはそれ自身の意志があり、希望に溢れていることが感じられた。そして、それが自然の流れであり、仕組みであるという確信のような、腑に落ちるような感覚が訪れた。
その感覚を感じると、今度はそこまで拡大された意識が元の場所に戻るかのように縮小しながらスーッと上昇し、再び母が現れた。
現れたというか、私の右の頬に母の左の頬がピッタリとくっ付いていた。母が微笑んでいる。まるで私がこれを体験したことを喜んでくれているかのようだった。
私は驚いた。死んだ人が眼の前に現れたことはあるが、生きている人がこんなにリアルにここにいて、喜びを伝えてくるなんて。今母は太平洋の向こう側の日本にいるのに、確かにここにきている。私は母の顔もエネルギーもはっきりと感じることができるのだ。
そのことをセラピストに伝えると、セッションの深さに感動した様子だったが、私は母の顔が自分にピッタリくっ付いていることが、少し気味悪かった。ここで私がこんなセッションをしていることを、どうして知ったのだろう?
母の意識はセッション中に私に寄り添いながら、私と共に意識の層を降りて行ったのだろうか?娘である私が、母の深い悲しみを体感することで理解を深めたことを喜んでいたのだろうか?母もあの闇から出ずる光を見たのだろうか?
初めてのハコミセッションは、完璧で美しいプロセスだった。私は私でありながらも、意識は全体と繋がっていることを体感した。ハコミとは、ホピ族の「あなたは何者であるか?」に匹敵する言葉であると言ったが、セッションはそこに触れる素晴らしい体験だった。